トップページ > 阪神高速のこだわりの技術 > 新交通管制システム「HI-TEX」(3/5)

ひとまわり大きくなれた自分がいる。プロジェクトが成長のきっかけだった。

今日「HI-TEX」の名で呼ばれる第4世代交通管制システムが、阪神高速の社内で議論され始めたのは2009年頃。2021年4月の稼働開始まで、プロジェクトは10年余りの長きにおよんだ。その間、多様なバックグラウンドを持つ多くの技術者が仕事でかかわり、プロジェクトの一翼を担う中で成長を遂げた。「HI-TEX」は、技術者がステップアップを遂げる育成のステージでもあった。続く2ページでは、2人の技術者に印象に残る出来事や自身の成長について語ってもらった。

技術の仕様検討と広報を担当
安全安心に貢献できたのが喜び

「HI-TEX」のプロジェクトには、いつ頃関わるようになったのですか?

向井

入社して8年目か、9年目頃だったと思います。先ほどお話しした「事故リスク情報の提供」の解析モデルの検討をはじめ、システムに格納する技術の仕様検討に携わる一方、広報の仕事も担当しました。

広報の仕事というと、具体的には?

向井

「HI-TEX」をより多くの人に知っていただくための広報用ツール、たとえばパーキングエリアなどで配布するパンフレットやフライヤーの制作、またどういうお客さまを対象に、どういうツールをつくれば効果的かを考える戦略づくりなどの仕事です。データ解析の理論を駆使して事故リスク情報を提供しても、お客さまがそれを認知していなければ、効果も半減します。「HI-TEX」の存在を、広く世間に周知徹底することも重要な仕事です。

広報用ツール

いちばん印象に残っていることは何ですか?

向井

実は「HI-TEX」が動き始める半年少し前、2度目の産休・育休に入ったので本番稼働の瞬間に立ち会うことはできなかったんです(笑)。でも職場復帰する直前、阪神高速を走った時、道路情報板にしっかりと事故リスク情報が表示されていることに気付いて、無事に実装されたことをあらためて実感しました。その時は感動というより、「ちゃんとできたんだ」とホッとする気持ちの方が強かったのを覚えています。

「HI-TEX」のプロジェクトにかかわるようになった最初の頃は、もっと簡単に考えていたのですが、いざふたを開けてみると検討課題がいくつもあって社内外の関係部門との調整が大変でしたし、解析モデルを検討していた時も、ポアソン回帰分析のことは大学で習っていたのである程度は分かりましたが、それでもやっぱり難しくて、足元が定まらない中、毎日アタフタしていた記憶があります。でも、お客さまに注意喚起をうながして高速道路の安全・安心をつくるという当初の目的は達成できました。私にとっては、それが何よりもの喜びです。

異分野の技術者とも多くの接点
知識の幅を広げられた

産休・育休をとる女性は多いのですか?

向井

私のまわりには、大勢おられます。男性社員で育休をとる人もいますね。
2人の子育ては毎日が“戦争”ですが、「スライドワーク(時差出勤)」の制度を活用しながら仕事とプライベートを両立させています。また入社前のイメージと違って、阪神高速はとてもアットホームな会社。先輩や上司がいつも気遣ってくださって、仕事で困ったことがあってもフォローアップしてくれます。女性にとっても働きやすい職場だと思います。

向井

「HI-TEX」のプロジェクトは、ご自身の成長にどんなプラスがありましたか?

向井

私は「土木職」として、阪神高速に入社しました。土木の技術者は、仕事で同じ土木系の人と接する機会がどうしても多くなりがちですが、今の部署(交通技術課)に配属になり、「HI-TEX」の仕事に携わるようになってからは、システム技術課などの電気・通信系の関係部署との意見調整で異分野の方と接する機会が多くなりました。システムや電気のことは何も分からず、最初は打合せをしてもなかなか議論が前に進まないし、決められたスケジュールの中でやらないといけないことが山ほどあって悪戦苦闘。それでも職場の先輩や上司にも助けられ、今では議論の方向性に目安をつけて、何を主張すべきかをあらかじめ考えたり、どんな質問にも答えられるように知識の幅を広げることができました。「HI-TEX」の仕事に携わる中で、またひとまわり成長で来たのかなと思っています。

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