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日本初、鋼管集成橋脚の開発と実用化(3/5)

実現への長い道のり

2002年に発案された鋼管集成橋脚は、翌2003年からフィジビリティスタディ(実行可能性調査)が始まり、その後、数々の実験や検討委員会による検討・審議などをもとに実現に向けて進んでいった。そして2009年には、淀川左岸線の海老江ジャンクションの橋脚として採用されることが決定。2013年、無事施工は完了、世界初の鋼管集成橋脚がその雄姿を現したのである。

長い時間がかかりましたね。

篠原

そうですね。理論的に素晴らしいことはわかっていても、それを実現するのはなかなか大変です。

たとえばせん断パネル。
パネルそのものは以前から建築業界で使われていました。しかし、橋脚に用いるとなると桁外れに大きい。1辺1メートル以上というのは世界最大級の大きさです。そのせん断パネルが他の部分よりも先に壊れるようにするには、どれくらいの柔らかさにすればよいのか、縦と横の比率はどのようにすればよいのかなど、なにしろ世界初めてのことなので実物大のモデルを使用して実験を行い、試行錯誤しながら追求していきました。

実大せん断パネルの正負交番載荷実験の様子

実大せん断パネルの正負交番載荷実験の様子

また海老江ジャンクションでは、より高い性能を確保するため、横つなぎ材を当初予定の3段から4段に変更するということもありました。さらに、土地が狭く4本の鋼管の間隔を縮めなくてはならなかったため、それに合わせて構造計算をやり直しました。苦労はしましたが、その甲斐あってレベル2地震動(大規模地震動)の規模であっても、主部材を損傷させることなく、地震直後の緊急輸送路としての機能を確保できるだけの性能となり、とても嬉しく思っています。

実際の施工となると関係者との調整も大変だったのでは?

小坂

おっしゃる通りです。海老江ジャンクションの下部工事が始まったのが2009年の11月で、開通まであと3年というタイミングでした。しかも地中を掘ってみるとそこに障害物がたくさん埋まっていることがわかり、基礎工事は難航していました。そんな時に「鋼管集成橋脚を使ってみよう」ということになったのですから、大歓迎というわけにはとても行きません。しかし、社内外の関係者の理解と協力なしには進まない工事ですから、ここは腹を括ってかからなくてはと思いました。

関係先を一つ一つ回り、鋼管集成機橋脚の意義と効果について説明しました。

じつは当初は従来型の橋脚を採用する計画だったので、時間も無い中、果たして「やりましょう」と言っていただけるかは正直わからないと思っていました。
しかし、最終的には皆さん賛成して下さり、同じ目標に向かって力を合せることによって、世界で最初の鋼管集成橋脚を大阪で実現することが出来ました。

小坂 崇
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