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阪神高速 ショートストーリー

第11話 先進の橋梁技術を確立した港大橋の架設

阪神高速道路初の長大橋梁

ニューマチックケーソン工法による基礎工事

 港大橋は、昭和45(1970)年7月15日に起工式が行われた。港大橋の建設は、その後の阪神高速の長大橋建設の皮切りであり、同時に、大阪湾岸線工事の本格的な幕開けとなった。
 港大橋(全長980m)の建設で特筆すべきは、大阪港で最も船舶航行量の多い航路をまたぐために、中央径間510m、桁下空間51mという公団初の長大橋梁となったこと。そして、架設箇所が埋立地特有の軟弱地盤だったために、基礎工が非常に大規模であったことなどである。そのために、建設にあたっては設計・施工面で従来にない新しい手法や材料、工法が多数採用された。

我が国初、独自開発の超高張力鋼を使用

吊桁部の一括吊上げ架設

 橋の中間橋脚の基礎は、ニューマチックケーソン工法を採用したが、ケーソンの床面積は40m四方、深さは35mという巨大さで、これは橋梁の基礎構造として当時、世界最大級のものであった。地盤は、地表面下30mあたりまでが軟弱な沖積粘土層で、その下に厚さ6m程度の砂礫層があり、ケーソン基礎の支持層は地下35m付近の砂礫層と決まった。しかし、厚さ6m程度の砂礫層は長大橋梁を支えるには薄い。このため、海底のヘドロ部分を浚渫して海砂に置き換え、その下層部分の地盤も改良した。さらに、砂礫層より下層の地耐力や沈下量も十分検討した。
 巨大なケーソンは、沈下が進むにつれてケーソン作業室内の気圧が高くなる。作業効率と安全管理に配慮して、気圧を抑えるためにディープウェル工法で水を汲み上げながら工事を進めた。また、ケーソン函内での掘削作業を機械化(ロボット使用)するなど、当時最新の工法を開発し積極的に採用していった。

現在の港大橋



 上部工形式はゲルバートラス橋。この形式では、当時も今も世界第3位の規模である。3径間、上下2層のダブルデッキ形式で、上層を現在は16号大阪港線及び4号湾岸線が、下層を5号湾岸線が走っている。
 この橋の最大の特徴は、我が国の橋梁で初めて超高張力鋼(HT70、HT80)の極厚板(最高100㎜)を大量に使ったことである。鋼重量約40,000トンのうちHT80を4,200トン、HT70を1,070トン使用している。超高張力鋼を用いることにより、部材断面をコンパクトにし、自重を軽減することは、地耐力の面で、また耐震設計、2次応力などの設計面で有利となり、製作、架設面でも利点が多かった。
 超高張力鋼の使用にあたっては、機械的性質はもちろん、耐割れ、切欠きじん性などにも留意した「南港連絡橋用80キロ鋼70キロ鋼鋼材規格」を設定し、この規格に基づいて、25ミリから100ミリまで4種の板厚での母材特性、溶接性に関する確性試験を行い、製作前にも、実際に溶接施工試験を行って安全性を確認し、施工に必要なデータ収集を行った。
 架設の工法については、地盤が軟弱で、主要航路をまたぐこと、さらに高所での作業になること等から、吊り桁(全長186m、重量約4500t)を広島県呉市で組み立てて、海上輸送で架設地点まで運び、張り出しの先端に設置した4台のウィンチによって海上約60mの高さまで、3時間半かけて一括吊上げを行った。
 最先端の技術と新しい工法・材料の開発などを駆使したこの長大橋を、わずか4年余りで完成させたことは、阪神高速に大きな自信をもたらした。
 建設時から本四連絡橋建設の試金石として注目を集めた港大橋は、昭和49(1974)年7月15日に供用を開始した。

(2014.6.6掲載)

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