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阪神高速 ショートストーリー

第10話 世界最高レベルの交通管制システムを構築

パイオニア精神で手がけた調査・研究

当時の交通管制室

 公団で交通管制システムの研究がスタートしたのは、昭和42(1967)年である。米国の高速道路で1965年に導入された交通管制システムを見学・実習してきた、一人の公団職員がその有用性に着目し、この年に交通管制委員会を発足させたところから始まった。
 米谷榮二京都大学教授を委員長に迎えた同委員会がまとめた最初の報告書は、理想的なシステムの全容から、開発のタイムスケジュール、経済効果等まで網羅した意欲的なものだったが、1号環状線は未だリング状に繋がる前で、阪神高速は「閑古鳥が鳴く」と揶揄された頃である。公団内部でも管制システムへの関心は薄かった。この時期に、パイオニア的な研究活動に携わった職員たちや委員会の熱意が、交通管制システムの導入を実現させたと言えるだろう。

“花博”で花開いた世界最先端の情報提供システム

花博会場正門前のLEDパネル

 本格的なシステム導入は、万国博覧会開催の前年の昭和44(1969)年である。中央処理装置には当時最先端のコンピューターを採用し、交通データの収集や帳票の作成、制御計算などを開始した。とある理事からは「高いおもちゃを買わされたよ」と冗談交じりで評されたほど高価なシステムで、管制室を四ツ橋の阪神高速高架下に開設したために、振動でホコリが舞い、排気ガスの油がこびりつくなど予想外の事態に、あわてて換気装置を付けたという初期ならではの失敗談もある。
 交通情報の収集システムは急速に進歩した。万博時には、路面にコイルを埋め込むループ式検知器とCCDカメラだったが、その後、道路上から超音波で計測するようになり、情報板も字幕式からより情報量の多い電光式へ移行した。
 昭和56(1981)年に大阪・神戸間が開通した時には、NTTと協働して、神戸と大阪のシステムを結ぶ光ファイバー通信を導入。世界初のこの通信方式で、大量・高速なデータ送受を実現して迅速な情報提供が可能となった。

花博時に完成した新交通管制室

 そして、平成2(1990)年の「国際花と緑の博覧会」で、公団が開発した3つの新技術・システムが威力を発揮した。1つは、大阪府警との情報交換により実現した高速道路と一般道路の情報の同時提供である。世界でも稀、もちろん日本初の試みで、会場正門前に設置されたLEDパネルから情報が提供された。2つ目は、これも日本で初めての道路情報ラジオである。文字情報よりもはるかに情報提供量が多い。そして、3つ目が所要時間表示。超音波検知で交通量と時間占有率を計算し、渋滞を判定するという公団独自の方法である。
 こうした先進的な情報提供で、世界の最先端と評価された公団の新交通管制センター(朝潮橋)には、国内外から続々と視察団が訪れた。そして、そのとき配布した日本語版と英語版のパンフレット表紙には、SMART ROAD HANSHIN 愛 WAY のロゴが。
 ITS(高度道路交通システム)時代の幕開けを先導する、公団の自負心の表れだった。

(2014.6.4掲載)

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