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阪神高速 ショートストーリー

第9話 全国に先駆けて騒音対策に取り組む

公害反対運動との交渉の中で

12号守口線(大阪市旭区)

 12号守口線は、大阪都心から守口市大日町まで延長10.8kmの路線である。万国博覧会関連道路として位置づけられ、中之島から旭区中宮までの5.2kmについては昭和43(1968)年5月に予定通り開通した。しかし、そこから終点の守口市大日町まで残り5.6km区間については、沿道の公害反対運動との交渉が長引いたために万国博の開幕に間に合わせることはできなかった。
 昭和40年代後半は、高度経済成長により引き起こされた大気汚染や騒音公害が全国的に社会問題化していた時代であり、守口線沿道の大阪市旭区と守口市は文教・住宅地区で、学校も散在していたことから、これらの関係者を中心に強硬な反対運動が起きたのであった。

遮音壁を初めて正式導入

阪神高速完成前の大阪工業大学前

 地元説明会での度重なる交渉の末に、公団は、騒音軽減のために大阪工業大学前で路面高を高くする等の対策を提示し、大阪市は、路下の水路を埋め立てて緑陰道路にするとの条件を出して、ようやく合意に達することができた。
 こうして、騒音対策のために一部の区間で地上22mの橋脚を採用し、道路面を一段と高い位置に設置した。また同時に、遮音壁として高さ1mのプラスチック板の防音塀を側壁上に設置したのだが、これは全国の高速道路で初めての事例となった。遮音壁の設置に当たっては、前例のない中、従来から鉄道などと交差している箇所では落下物防止のために板を設置していたことなどを参考として様々なアイデアや法的解釈について検討が行われ、最終的には激しい反対運動や工期の遅れなど当時公団が直面していた厳しい状況に監督官庁など関係者からも理解が示されて、正式に導入・施工された。この遮音壁の設置により、都市高速道路の景観も大きく変わることになった。

阪神高速完成後の大阪工業大学前

 また、守口線では、地元との合意にあたって種々の条件を示した確認書を交わしたが、その中には環境施設帯や、防音助成・日照補償等、当時の公害対策として最も進んだ考え方が盛り込まれており、その多くはのちに制度化されている。
 万国博の閉幕後、地元と合意に達してすぐに開始された工事は、短期間で順調に進み、1年後の昭和46(1971)年10月4日に守口線を全面供用することができた。

(2014.6.4掲載)

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