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阪神高速 ショートストーリー

第4話 都心のビルを貫くハイウェイ

都市空間の有効利用を図る

建設中の中之島S字橋

 大阪池田線は、土佐堀口付近で環状線と空港線に分岐している。空港線側は、急なカーブが連続していて、土佐堀川を渡る部分を平面的に見るとS字形になっている。この区間はビルが林立して用地買収も難しく、線形の決定には慎重な検討が繰り返された。その結果、大同生命と住友本社の間を縫い、土佐堀川から朝日新聞社ビルの中を通して、堂島川へ出るコースが選ばれた。
 ビルを貫通することに世間は注目し、都市空間の有効利用だと評価を受けた。しかし、このように相反する大きな曲率を持つ橋梁は、当時の我が国はもちろん、世界でも例を見ない特殊なものだった。構造的にはビルの床面に枕梁を通し、工場で製作したPC桁を並べて路面としたものである。

公団の技術基盤の確立へ

世界初で挑戦するS字橋の模型実験のようす

 ビルを挟んで、道路はダブルS字の線形をなす珍しい形で、このうち肥後橋を渡る、延長192.8mの「3径間連続鋼床版曲線桁」が有名なS字橋である。
 カーブ橋は首都高速にもあった。しかし、S字橋というのは、その当時、ドイツのデュッセルドルフにひとつあっただけで、それも公団のS字橋ほどの曲線ではなかった。公団の技術審議会で各種実験と検討を重ねて、原則的にはS字というのは、力学的に非常に安定があり、心配はないが、例えば支柱における移動の問題など細かい問題があり、短期間だったが一つひとつ究明し、最終的には審議会の承認を得て着手した。
 車が走ると、どこに張力が掛かるかなどの検証は、非常に多くの要因を加味して計算する必要があったが、当時はまだコンピューターが一般化しておらず、手動の計算機で行った。また、建設に当たっては、「薄肉連続曲線橋の立体的解析」で著名な小松大阪市立大学助教授(当時)を中心とした実験チームが編成され、大型模型(20分の1)による静荷重実験や動荷重試験などの成果を踏まえて、工事に取り掛かった。
 ビルにトンネルを造って、道路を通すというのは日本で初めてで、法的には道路占用になるため、朝日新聞社との間で再三話し合いが持たれたが、結局は、兼用構造物という解釈で管理協定を結んだ。

昭和39年11月11日
出入橋~土佐堀開通

 栗本理事長は、河野一郎建設大臣から「あんな曲線のものを造るから、金と時間がかかるんだ。直線にしろ」と言われたとか。ほかにも、「あんなものは技術屋の趣味だ」と言う声も聞こえてきた。しかし、ほかに道を通す手段はなく、厳しい条件の中で成功させたのは、当公団技術陣の技術者魂だった。複雑な地理的制約を克服して、困難なS字橋を完成させた当公団は曲線桁の建設に強い自信を得て、これがその後の、高速道路建設に大きく寄与したのである。
 S字橋を含む土佐堀~出入橋区間は39年11月に供用を開始した。

(2014.4.17掲載)

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