トップページ > 阪神高速のこだわりの技術 > 日本初、鋼管集成橋脚の開発と実用化(1/5)

技術者の意地が生み出した日本初の橋脚

1995年に起きた兵庫県南部地震。阪神高速道路の高架橋が無惨に崩れた様子は、地震の凄まじさの象徴として人々の記憶に刻まれると同時に、阪神高速の関係者すべての胸に深い傷痕を残した。しかし、その傷をもつが故に、阪神高速ではどこよりも早く地震に対する意識改革を行い、全く新しい視点から耐震工事を進めてきた。今回の鋼管集成橋脚もその一つである。

阪神高速道路 大和川線 三宝ジャンクション

鋼管集成橋脚とは読んで字のごとく、複数の鋼管を集めて1本の柱と成るというもの。今回開発された橋脚は鋼管4本組を基本単位とする。接合に用いたせん断パネルで地震の揺れを吸収することによって橋梁全体を守るほか、建設コストの削減、地震後の点検調査の簡便化など多くの利点をもつ。この日本初の試みを約10年という歳月をかけて成功させた、技術部技術推進室の小坂崇と篠原聖二の二人に話を聞いた。

兵庫県南部地震の教訓

新しい橋脚を開発することになったきっかけを教えてください。
小坂

「きっかけはやはり兵庫県南部地震です。その後に行われた点検と調査から、私たちは多くの教訓を得ました。」

その教訓をベースに、地震によって交通が遮断されたり、復旧に時間がかかったりすることを出来る限り防ぐというコンセプトのもと、新しい橋脚の開発に取り組みました。

小坂 崇
点検・調査から得た教訓とは?
小坂

大きく3つあります。

1つ目は当たり前ですが『構造物は壊れる』ということです。兵庫県南部地震以前には“壊れないよう、地震に耐える設計をする”という考え方が主流でした。ところがそうして耐震設計がなされた構造物が、あの地震によって数多く倒壊しました。壊れない構造物を造るという考え方はもはや通用しないことを、私たちは認めざるを得ませんでした。そして“構造物が壊れることを前提に、地震への備え方を考える”という方向に発想を転換していきました。

2つ目は、『地震後の点検・補修が容易な構造物をつくることの重要性』です。地震後の点検・調査の結果、損傷部分の多くが土に隠れて見えない土中部にあったことがわかりました。一見損傷を受けていないように見える場合でも、掘ってみるとコンクリート橋脚では鉄筋が曲がっていたり、鋼製橋脚では鋼板にき裂が入っていたりしました。掘らなければわからないような構造物では復旧に時間がかかってしまいます。どうすれば点検・補修が容易な構造物にできるかが、次に取り組むべき課題として見えてきました。

3つ目は『補強すべきは橋脚である』ことが明確になったことです。地震による落橋事例を100年前まで遡って調べたところ、大きく4つの原因があることがわかりました(別表参照)。その中で圧倒的に多かったのが、橋を支える橋脚が倒壊するケースです。そこで、『耐震性の高い下部構造(橋脚)を開発する』という目標が定まりました。

過去100年の落橋事例の分析表

注)被害原因が2つ以上の場合は、いずれにも計上。

引用元)独立行政法人土木研究所 構造物メンテナンス研究センター 橋梁構造研究グループ
『過去の大規模地震における落橋事例とその分析』、土木研究所資料第4158号、平成21年12月、3頁・7頁

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